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愛用品 #00 プロローグ

  • 5 時間前
  • 読了時間: 7分

私は昔から新しい物事が好きで、いいなと思ったらすぐに飛びつく癖がある。

面白そう→やってみる、のシナプスが直結している。

たまたま通りがかった気になる店に入ってみたり、旬のイベントに応募したり。


そして、なんて素晴らしい!絶対にまた来よう!と感激するのだけれど、実際は「一期一会」になることが非常に多い。流行に乗るのは得意な方ではない。ただ、過去の行動を振り返ると、その分野においての「第1期生」であることが何度もあった。この特徴は、購買行動についても同様である。


私は ”ここちよい暮らし” を意識的に営み始めてから、自然な形で ”ここちよいモノ” についても探求するようになっていた。 私は元々、興味のある物事への探究心や向上心が強いので、ここちよい暮らしにコミットしたことで、モノ選びにもこだわり始めたのだと思う。

ここちよさの答えは十人十色

どんなモノが身の回りにあるとここちよいのか。 どんな衣類を身に纏い、どんな食べ物を体に取り入れるのか。 それは、どんな選択をし、どんな時間を過ごすのがここちよいのかという、自らへの問い。

ここちよく在るためにはどうすればいいか。 判断基準はそれ一択。 そして、持ち前の行動力ですぐにやってみて、その結果を自分なりに検証し、日々改善し、アップデートする。

何が自分にとってここちよいのか。 その答えは十人十色。

それが分かっていても、いざ自分のこととなると、何を選べばいいのか、昔は分からなかった。そこで私は、憧れのミニマリストたちが紹介しているものや著名人のオススメ、友人知人のアドバイスを参考にすることから始めた。楽天市場で商品を購入する際には必ずレビューを熟読し、人気商品をチェックした。

幼い子どもは、何も考えずに、毎日自分が好きなことだけやっている。人間には本来、自分の好きなこと、やってみたいこと、つまり、体や心が喜ぶことを、自然とつかみ取る力があるはず。そういった、野生というか、動物的な本能に近い感覚を、私は取り戻したいと強く願っていた。

何が好きなのかわからない


前置き。

※ ※ ※

私は若い頃「十三年間の長きにわたり」DVを体験している。相手を怒らせないように機嫌を伺い、相手に尽くし続けた結果、私はすっかり自分の気持ちや欲求が分からなくなっていた。 母と一緒に洋服を買いに行った時のことを、鮮明に覚えている。あんたは何年も同じ服を着ているから、と指摘され、ビックリした。言われてみれば、自分のモノなんて何年も買っていなかった。正確に言うと、自分のために使えるお金がなかった。毎月の生活費を捻出するのに精一杯だった。 母には、何でも好きなものを買いなさい、と言われたが、私は何も買えなかった。冗談抜きで、その時の私は、自分は何が好きなのか、好きな色も、好きなデザインも、全く思いつかなかったし、欲しいとか素敵だという感覚すら湧いてこなかったのだ。

人は抑圧され続けると、本来の気持ちや欲求を完全に封じ込めてしまう、またはネジ曲げてしまうのかもしれない。

言葉の力は大きいので、"DV" と聞いただけで、ビックリしたり、大変そうと感じる方も多いと思う。だからこそ、私は深刻になりすぎず、ただ一つの事実として、あえてここに書いておこうと思う。人の受け止め方や感じ方はそれぞれだけれど、これも私を形作った大切なプロセスなのだ。

この十三年間の貴重な経験については、いずれゆっくり書いてみたいが、今一つだけ言いたいのは、この経験があったからこそ、今の私があるということ。この経験は、私に、生きるために一番大切なことを教えてくれた。今では、そのすべての道のりに感謝している。

兎にも角にも、2008年11月8日。この日を境に、私の人生は大きく方向転換した。 あれから早十八年。生きるのが楽になるまで、生きるのが楽しくなるまで、私の場合、十八年の旅路が必要だった。

※ ※ ※

私たちは、物心ついた頃から、社会の中で生きる人として、躾けられ、矯正されていく。家庭、学校、習い事。土地柄、文化、流行。毎日流れてくるニュースや情報。その中で、人それぞれ、少なからずの影響を受けて育ってきたと思う。


だから、ふと立ち止まった時、自分の好きなものが分からなくなっているのは、多くの人が経験しているのではないかしら。私自身もそうだったから、よくわかる。


実は私は、中学生くらいからずっと自分探しをしていた。 そして2008年11月以降は、紆余曲折しながらも、本格的に深掘りし始めた。これまでの自分の人生を振り返ると、何が好きなのか、そしてホンモノ探し。ひいては、宇宙の理(ことわり)のようなものを探求し続ける人生だったなあと思う。


最初は、私がなりたい人、ある意味で理想の人のやり方を参考にした。考え方とか、使ってるモノとかを真似することから始め、少しずつ、自分の感覚に気付く練習をして、少しずつ、自分を取り戻していく。そういう道を、私は歩んできた。



私は押し付けたくない

いろいろなやり方があると思うけれども、例えば同じ山に登るとしてもいくつかのルートがあるように、同じ目的地点にたどり着くために、どのルートを選ぶかは、その人次第なのだと思う。私は私が選んだルートを、ここに書き留めておきたいと思っている。


こうすべき、と理屈や結論を伝える人を結構見かける。私もかつて、そういう傾向があったので、彼らの気持ちも立場も、よくわかる。

でも今の私は、そういうの、ちょっとゴメン、という感じ。


あなたの正しさは分かったわ。

でも私には、私のやり方、私のペース、私のタイミングがあるのよ。


だから、こんな記事を書いておいて、こんなことを言うのはなんなんだけれど……言い方がとても難しいのだけれど……


この記事を読んでくれる人に、私のやり方や考え方を、正直あまり勧めたくはない。違うと思ったら、是非スルーして(気に留めないで)いただきたいし、なるほどいいねと思ったら、必要な部分だけを参考にしてもらいたい。


私の中に、誰かのためになったらいいなという気持ちが皆無な訳ではないが、"あなたのために" という、優しさのフリをした押し付けは、もう止めたのだ。


ただ、押し付けと感じるかどうか、どの程度そう感じるかは、本当に人それぞれなので、ホント、伝え方が難しい。相手の受け止め方の繊細な感度が、私には分からない。理解しようと努力しているのだけれど、近頃は “限界がある” と感じている。

というのは、努力しすぎると、今度は私自身が窮屈になり、自分の言動、自分の発するものが、相手を傷つけたり怒らせるのではないかと恐れ、何も出来なくなってしまうから。

だから、怖いけど、恐れずに、ただ、私の体験談として書くことにした。 あくまでも、私の人生の軌跡として、現在地を記しておこう、という感じでありたい。


誰も傷つけていないかな 誰かを嫌な気持ちにさせていないかな 入り口は ”ここちよいモノ”

ここちよい暮らしを営み始める時、私の歩んできた道を振り返ってみると、モノから入るのがわかりやすかった。考え方ややり方は、見えないので、取り入れたのか手放したのか、イマイチ実感が湧きにくい。その点、モノは目に見えるので、それこそ一目瞭然。すごく良いのは、もし自分に合わなければ、簡単に手放すことができて、手放した実感も得やすいことかなと思う。

ここちよいモノを追求することで出来上がっていく、ここちよい部屋。その部屋で暮らすことで、ここちよい考え方ややり方、ここちよい時間の過ごし方に、自然と道が拓けていったように思う。

何か新しい習い事や趣味を始める時、まず必要なモノを揃える、そんな感じ。 気分が変わり、その世界観を、自分の環境に取り入れる感じ。 そのモノが身近にあるだけで、効果があった。度々目にしたり、使ってみたりすることで、そのモノとの絆が少しずつ深まった。

ここちよい暮らしの入り口は、自分にとっての “ここちよいモノ” を集めてみること。 このやり方が、私には合っていた。 2026年6月19日のこと

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