生きるための三大要素(序章)
- 2 日前
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寝る、食べる、排泄する。
これは生きるための三大要素、生きるために最低限必要なこと。
私が心身の調子を崩し、闇の中で必死にもがきながらも光を渇望していた頃。
年上の友人に宛てて書いた長い手紙へ、彼女から分厚い返事が届いた。
そこに書かれていた言葉が、大袈裟ではなく、今の私の生きる指針となっている。
”寝る、食べる、排泄する、それだけでいいのよ。
もし私があなたの母親なら、
あなたと一緒にどこまでも時をさかのぼり、
あなたと一緒にもう一度歩き直したい”
私はあまり人付き合いが得意な方ではないが、数少ない友人の中で、彼女は私にとって特別な存在である。「ご縁とは不思議なもの」である。
そう、肉体が生存し続けるという意味で生きるためには、たった三つがあればいいのだ。あの日の友人の言葉は、今でも私の魂にここちよく響きあい、私の軸となっている。
人は成長する中で、学校や職場などの環境から ”こうすべき” という枠組みを無意識に習得し、知らず知らずがんじがらめになっていく。それに気づかぬまま月日は流れ、糸が絡まって抜け出せなくなったり、病気になってしまったりする。私もそうだったから、よくわかる。
私は三十代で、世の中には裏(嘘)が存在することを知った。衝撃だった。しかし、長いこと鳥籠の中に閉じ込められていたため、鳥籠の扉が開いても、外に出ることをまるで忘れてしまっていた。四十代でようやく大空を飛べるようになり、五十代の今は、まるで地球を飛び出しそうな開放感を抱いている。
年月をかけて築き上げたものを、急に手放したり、急に壊したりすることは出来ない。それなのに、人はごく一部の例外事例に心惹かれ、人生大逆転、一攫千金、といった夢に躍らされてしまう。悲しいかな、それが人の性である。私もそうだったから、よくわかる。
そうして、様々な体験を通して、必要な気付きと学びを与えられ、本質はそこではない、そこには無いということに、少しずつ気付いていく。ようやく気付いたと思っても、まだ先がある。世界は無限に広がっていて、終わりはない。求めれば、どこまでも行ける。自分はどこまで行きたいのか。それが大切なんだと思う。
心が塞ぎ体も動かない時、焦りや周囲からの圧力に押しつぶされそうになる。
寝て、食べて、排泄さえしていれば十分。他に何もしなくていい。
この価値観に、私は救われた。打ちのめされた自己肯定感がほんの少し回復し、このままでも認めてもらえるのだと、傷ついた承認欲求が満たされるようなやさしさに包まれた。私は安心して、寝て、食べて、排泄して、そうして、外側から、少しずつ自分を取り戻し、玉ねぎの皮を剥くように、内側へアクセスし続けた。この時のリアルな状況は、プロフィールにも少し書いた内容とリンクする。
ところで、この生きるための三大要素は、健康体な人でも、しっかり取り組めているかどうか、自分では見落としやすい。
心身が回復するのに十分な睡眠を取れているだろうか。
体が求める食材を、摂取できているだろうか。
それは体が求める調理方法なのか、体が求める量なのか。
清らかな水を、必要十分なだけ体に取り込めているだろうか。
そして、毎日きちんと排泄できているだろうか。
体に不要なものを外へ排出できれば、病気にはならない。
病気の原因は、物質的・精神的な不要物の蓄積やエネルギーの滞りであることも多い。
”それが全て” と断言はできずとも、”ほぼそれが全て” ではないかと感じている。
つまり、寝て、食べて、排泄することは、シンプルでありながら究極の健康法であり、イノチを繋ぐための普遍的な真実なのだ。それを疎かにしている場合が実に多い。
誤解のないように言うと、疎かにしていることを、私は否定しない。それも、その人の生き方だから。私は自分の正しさを押し付けるのではなく、その人の在り方を尊重する。
これで、この章の話は終わり。
「第一章 寝ること」へ続きます。

………….
最後に、喫煙について、喫煙する人の在り方を尊重すること、そのことから、その人の生き方、健康とは何か、本当に健康になりたいのか、ということにも、少し触れておきたい。
いずれ別記事にまとめたい気持ちはあるのだけれど、私の中では余談的な内容なので、忘れないように、ここに残しておきたい。興味のない方はスルーしてくださると嬉しいです。
………….
例えばタバコ。喫煙は健康に良くないのは周知の事実だけれど、私は、喫煙は趣味の一種だと捉えている。
私は全く吸ったことがなく、吸いたいとも思わないし、タバコの煙は正直とても苦手。でも吸いたい人が吸って何がいけないの?と思う。
ただし副流煙の被害が起こらないように、また吸い殻をきちんと処理するなどのマナーは守ってほしい、とは思う。もしやむをえずここでそのように吸っている人がいて、自分が煙たくて嫌なら、自分が避ければ良い。ケースバイケースの細かい事情はお互い様かなと大らかに受け止めている。それが、私にとっては当たり前のことで、なんの違和感もない。
つまり、健康を自ら疎かにしている人に対して、それは違うとか、こうすればいいとか、少し思うことはあったにしても、それ以上にその人の在り方を尊重する。
私はむしろタバコの利点も多いと感じている。
リフレッシュになるようで、それはすごく大切なことだ。
喫煙室で何気ない世間話や心の交流が生まれるのも素晴らしい。
そして何よりも、煙を体内に入れることは、神社仏閣で煙にあたって邪気払いをするのに似ている。体内のネガティブなものを煙で浄化することになるため、それはすごく大きな利点だと思う。
タバコは体に良い、健康的だ、という主張があってもおかしくない。
どう生きるのか。 それは、その人の選択なのだと思う。
何が健康なのか。 それは、その人の考え方なのだと思う。
あるいは視点を変えて、そもそも、健康になりたいのかどうか、という根本的な問いを、自らの心の奥深くにしてみるのも面白いかもしれない。
ある医学的な本か講話で知り得た情報の中で、興味深いものがあった。断片的に書くので、間違って伝わらないかドキドキしてしまうのだけれど。
病気の人の中には、病気になりたい人がいるのだという。
病気になることで、誰かに心配してもらえたり、かまってもらえる。愛情をかけてもらえる。だから治りたくないという潜在的な欲求があるのだそうだ。
そんな馬鹿な!と思う人もいるだろうけれど、私はなるほどと思った。子供の頃、高熱を出すとお母さんがアイスを買ってきて優しくしてくれたから、また熱を出したいと願ったこと――これも関連するエピソードなのかなと思う。
少し飛躍させると、別なことにも当てはまる。
例えば嫌いな人と別れられないのは、潜在的にその人を必要としているから。例えば依存関係にあるとか、ね。
深層心理学の世界に踏み込んでしまいそうなので、この辺にしておこう。
………….
寝る、食べる、排泄する。 この、生きるための三大要素について、私の体験談や今やっていることを、一つひとつ、ゆっくり書いてみようと思う。 2026年7月30日 満月が明けて





