top of page
サイトトップ写真.jpeg

舞あふるる

  • 4 日前
  • 読了時間: 6分



目が覚めた。カーテンのない曇りガラスの窓が、うっすらと白んでいる。時計を見ると、4時ちょうど。 最近はこのくらいの時間に、自然と目がさめる。 この前の新月の頃、新しい暮らしに合わせて「朝のルーティン」を見直した。 4時に起床し、散歩へ出かけ、7時から色々な所務に取りかかる。15時にはほぼその日のタスクを終えて、早めの夕食をとり、お風呂に入り、遅くても21時には布団に入る。

ちなみに、実際にやってみると、どうしても寝る時間は22時を過ぎてしまうので、日々体調や気分の変化を記録しながら、今のベストを探している。私の毎日は、小さな実験と検証の繰り返し。今日何をしたらどうなったか、改善するために明日はどうするか。そんな毎日の暮らしのデータを記録し、分析し、次へと繋げていく。私の気質は、研究者か科学者に近いのかもしれない。


この日も、朝のルーティンを書き出した紙を見ながら、ひとつずつ丁寧にこなし、散歩へ出かけた。 起きた時は曇り空だったのに、今は少し陽が射している。いつものように真っ直ぐ公園へ向かった。左右の足が股関節からリズミカルに前へ出るに任せ、随分と葉が茂った桜の木や、鮮やかな芝桜、毎日見ている美しいお庭たちの景色に見とれ、首の大きな捻り運動が始まる。

突き当たりの信号は青。信号を渡って左へ折れ、しばらく歩くと右手に大きな公園が見えてくる。土砂を防ぐための高いコンクリート塀に沿って、傾斜のある林間道路を緩やかに登っていくと、その先に公園の入口がある。舗装された道は歩きやすい。頭上高くには木々の梢が交錯している。緑に包まれたこの空間に入ると、途端に呼吸が深くなるのを感じる。

左手に公園の入り口が見えてきた。ふわっと頭上がひらけた。園内に入っても傾斜は続く。 少しずつ勾配がキツくなってきて、足の筋肉が震え始める。足元の道幅は倍ほどになったが、道の右半分には、落ち葉や細い毛虫のような黄緑色が大量に落ちている。私はあえてその上を踏みながら歩いた。足裏に伝わる微かな柔らかさを追って、ここちよい感覚を維持しようとするが、次第に太ももは重だるくなり、もっと酸素をおくれよと主張し始める。

道が大きく旋回するところで息が上がり、立ち止まって呼吸を整えた。 はあ、もう少し体力がほしいな。それでも、冬の頃に比べれば、随分元気になってきた。これ以上何を望むのか。私も欲深いなあ、と急に可笑しくなり、うつむいた口角がわずかに上がった。自分の不甲斐なさを笑えるのは健全な証拠だわ、こうでなくっちゃ。私は大きく息を吸い込んで、また歩き出した。

しばらく行くと、目の前がパアアッと開け、広いひろい原っぱに出た。 初めてこの広大なスペースを見た時は、あまりの美しさに息を呑んだ。山の一部のような公園に、こんなに広くて平らな部分があるなんて。しかもこんなに整備の行き届いた芝生。この美観を維持するのは、さぞや大変だろう。公園管理の作業員の皆さん、ありがとう。

見上げると、空は青く澄み渡っていた。 雲ひとつない。おひさまは、今日も元気に輝いている。私にとって、おひさまは大切な「心の友」だ。子どもの頃から、いつも空ばかり眺めていた。おひさまと、青空と、雲の動き。これまでの人生で、空を見上げなかった日は、一日だって無かったかもしれない。今日もおひさまは変わらずそこに居て、世界をやさしく照らしている。

さらにもう少し歩を進め、ふと、また空を見上げた。 さっきまで雲ひとつなかった青空に、うっすらと、鱗雲とも少し違う、帯状の雲。雲は鱗のように連なりながら、細長く伸びている。しばらく眺めていると、その帯状の一部分が〈つぶつぶ〉と弾け、ふんわり空気を含むように膨張していく。 ああ、美しいなあ。その時は、ただそれだけの、静かな感動だった。


帰り道、なんとなく、いつもとは違う道へと足が向かった。 どこへ運ばれていくのだろう。こういう時は、身体の声に静かに耳をすまし、ほんのわずかな衝動も見逃さないように、注意深く内面へと意識を向けておく。そうすると自然と、素敵な場所や良い出会いへと導かれる。これは、私が日々の暮らしの中で重ねてきた「直感に従う」練習の成果といえるかもしれない。

家まであと10分ほどの道のりにさしかかった時、私は思わず、あ、と声を上げて立ち止まった。そして、吸い寄せられるようにやや駆け足で近寄っていく。

うわあああ

そこには、見事な〈つぶつぶ〉が広がっていた。 藤棚の下へ滑り込むと、まだ上の方しか咲いていない。それでも圧倒されてしまうほどの薄紫の海が、そこにあった。こんなに見事な藤棚が私の家のすぐそばにあったなんて。ゆっくり奥へと移動すると、花の色は白に変わった。白藤は初めて見た。そして、さらに奥に男性がいることに気がついた。三脚を設置している。これから何かの撮影だろうか。私は邪魔にならないよう、少し距離を取りながら俯き加減で歩を進めた。途中で堂々としたご高齢の幹が穏やかに立っていた。私はじっくりと観察したい気持ちを抑え、そっと指で触れ、通り過ぎた。

藤の花が好きになったのは、数年前の春、天神山の麓に佇(たたず)む見事な藤棚の記憶がきっかけだった。そして昨年は近くの公園で満開の藤棚に遭遇し、その感動を一句詠んで、Xに投稿した。そして今年は、こんなに素晴らしい出逢いを与えていただいた。

私と藤の歴史を噛み締めながら、至福の境地で、川沿いの道を歩く。 家まであと100メートルほどのところで、ふと空を見上げた。その瞬間、目の前の景色に息をのんだ。


あの空の〈つぶつぶ〉が、再び目に飛び込んできたのだ。そのそばには、ひときわ美しい、光を纏(まと)った雲があり、私は目が離せなくなってしまった。空のつぶつぶは、ゆったりと空気を含むように横へと広がり、まるで、、そう、まるで藤の花のように。

あ そうか! 地の藤が、天の藤へと、繋がったんだ

私は天を仰ぎ、溢れる感謝を伝えた。 すると、私のカラダはおもむろに動き出した。天に描かれた壮大な絵画を、この身体に写し取るようになぞり始める。手指は藤の花を模写し、逆円錐のカタチを螺旋状に描く。今度は両手で形作られた蕾が、ふわっと弾ける弧を描いて花が咲く。これは、数年前に「Ninaのワークショップ」で習い、朝夕に公園で練習を繰り返し、身体に深く染みこませた踊りのカケラ。脳内に当時の記憶がぱああっと蘇り、風のように通り過ぎていった。

気づけば私は、全身で藤の花と空模様を表現していた。 それは、言葉にならない天への感謝の舞だった。素晴らしい出逢いを、本当に、ありがとう。


愛おしい我が家が見えてきた。 敷地内に入る直前、チラリとお隣の一軒家の表札が目に飛び込んできた。 そこには、なんと藤の漢字があった。

私は、藤のすぐお隣に住んでいたのだ。これは、偶然にしてはあまりにも出来すぎている。あたたかい奇跡に包まれたような感覚を、私はじんわりと胸で受け止めていた。

帰宅後、いつものように所務と仕事をこなし、夕方、用事を足すために少し外出した。おひさまは西に傾き始めていた。いつものようにおひさまにご挨拶をすると、おひさまは雲に見え隠れしながら、美しい彩雲を見せてくれた。

空のドラマを十分に楽しませていただいて、私はくるりと向きを変え、歩き出した。 けれど、ふと後ろから呼ばれたような気がして、思わず振り返る。おひさまと心が通じたような、、そんな余韻が、今も身体の奥に残っている。



2026年5月22日金曜日のこと。

© 2025 miina kanon. All rights reserved.

bottom of page