塩で足を洗う
- 20 時間前
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足洗いを始めたのは、いつだったろうか。 記憶の糸をたどると、前の、前の、前の家に住んでいた頃だから、もう四、五年は経つのかもしれない。
私は、とんでもなく引っ越しが多い人間だ。かつて一ヶ月に三回も転居したことがあった。人生で最も目まぐるしく景色が移り変わった大転機。けれどその最後に辿り着いた真っ白い部屋で、私は初めて「自然派ミニマリスト」という言葉を自分に贈った。必要最小限の、大好きなモノだけに囲まれた、あの穏やかで満ち足りた暮らし。
私はいつも、思い立ったら考える前に身体が動いてしまう。とりあえずやってみて、その体験をカラダに馴染ませながら、少しずつ修正を加えて、自分のものにしていく。もし違ったり、興味が薄れたりしたら、アッサリと手放し、次へと歩を進める。その切り替えの速さに、大抵の人は付いて来られなくなるのだけれど、私には、この軽やかさがここちよく、何よりも自分らしいと感じている。
私の帰宅後の儀式、足洗い。それは、外から連れ帰った自分の心身をリセットし、私という個体を保つための、大切な習慣である。
世間一般の、手洗いうがい、という常識を、私はこの足洗いに置き換えている。自分を整える方法は人それぞれでいい。自分にしっくりくるコトを見つけるのが何よりも大切。今までの人生経験から、私はそう信じている。そのおかげか、手洗いうがいを止めてからも、私のカラダは以前にも増して健やかである。おそらく、本来の自然治癒力が活性化し、身体の免疫機能が、静かに私を守ってくれているのだろう。
足洗いに使うのは、どこにでもある安価な天然塩。数年前にネットで購入した業務用二十五キロの大きな紙袋が、今も私の相棒だ。度重なる引っ越しの際、重たい大型家電はない代わりに、荷物の中で一番重かったのが、この塩だった。私にとっては、決して手放せない必需品である。
この数年間で、私の足洗いの方法は、暮らしの移り変わりとともに幾度となく変化を遂げてきた。
最初は、浴室の入り口に設置してあるガラス容器から、素手で塩を取り出し、シャワーの温かいお湯が届くのを待つ間に、左足裏から膝にかけて優しく揉み込んでいた。わずかな力でもフタはパカッとここちよく開(ひら)く。フタのしなやかさと、ガラスの滑らかな温(ぬく)もりを手指で感じながら、私のココロは穏やかに凪いでいく。
冬になり、ガス代の数字が気になり始めた頃。毎日のルーティンとして、私は朝一番に湯を沸かし、小さなポットに入れておくのだけれど、そのお湯を、浴室の洗面器に張った水に、少しだけ分けてもらう方法を思いついた。少しのぬるま湯で、塩がサアッと足先へと流れていく様は、緊急時の節水生活でも無理なく取り組めそうな気がして、あたたかい安心をもたらした。また、給湯器のスイッチを入れるわずかな手間を手放したことが、小さな経済的ここちよさを生み出したということも、当時の私には嬉しい発見だった。
夏の暑い盛りには、冷たい水シャワーが気持ちよくて、再びシャワーのスタイルへと戻っていった。周囲の淀みを少し多く受け止めてしまったと感じる日には、足元だけでなく、頭から、首、胸、腹と、全身に塩をまとい、冷水を浴びる。そうすると、驚くほど心身がすっきりと澄み渡り、整うのを感じた。
そして、先月。私はまた新しい土地へと誘(いざな)われ、現在の暮らしに辿り着いた。
いま、私はほぼ毎朝、近所の大きな公園や静かな住宅街を散歩するのを日課にしている。顔を出したばかりのおひさまの温かさと、瑞々しい緑や鳥たちの声。そんな大自然のハーモニーに癒やされる一方で、私の敏感なカラダは、大地の息吹やせわしない街の余韻を、スポンジのように吸い込んでしまう。ここ一、二週間、寝る前にふと落ち着かなかったり、下半身に重たい疲れを感じたりしていたのは、きっと、私のカラダが、無意識のうちにそれらをキャッチしていたからなのだろう。
それに気付いた三日前から、私の足洗いは、また新しく、そしてとてもシンプルなかたちへと進化した。
出かける前、玄関に”三点セット”を用意しておく。 お気に入りの小さな白いバケツに入れた水と、天然塩と、足拭きタオル。
帰宅して靴を脱いだら、私は真っ先に、バケツの水に左足を浸す。足にひんやりとここちよい感覚が広がり、ココロがほとける。それからおもむろに、濡れた足裏に塩を馴染ませ、膝下辺りまでゆっくりと、湿った塩を揉み込んでいく。それをバケツの水でサッと洗い流し、広げたタオルの上へ。もう片方の足も同じように、丁寧に。
最後に、その役割を終えたバケツの水を、玄関のすぐ隣にあるトイレへと静かに流す。水に溶け出した不要なものは、あるべき場所へと還していくのが一番自然な気がするから。
私の暮らしは、常に揺らいでいる。 その時、その状況下で、何をここちよいと感じるか。それは、時節、時刻、場所、土地、環境、、それらに囲まれた私自身のカラダとココロの状態、、それらが溶け合い、様々な色彩として現れる中で、しなやかに、ここちよい方向へと移り変わってゆくのである。
昨日までのここちよさに縛られる必要なんて、どこにもない。 今日も、朝散歩から帰った私は、玄関で足を洗いながら、今の私に一番しっくりくる呼吸を見つめ、私自身を、本来の姿へと調律している。


