時短 〜いかに時間を捻出するか
- miinakanon
- 3月26日
- 読了時間: 4分
時短の目的で、家電を活用したり、AIを活用するのはとてもいいと思います。私はついに洗濯機を買いました。二年半、洗濯機を使わず、手洗いする暮らしをしていました。新築のワンルームではお風呂が広くて洗濯しやすかったため快適でしたが、次の家は古いアパートで、お風呂に洗い場がなく、台所で洗濯をしました。が、階下の方から水の音がジャージャーうるさいと苦情がきて、洗濯の時に出す水量を減らしたり、排水はバケツの水を浴室まで運んで捨てたりと、やけに手間と労力と時間がかかるようになってしまいました。
その後また古いアパート1Rに引っ越したら、今度は浴室が何だか気持ち悪くて、足を踏み入れたくない感じでした。何ヶ月も入浴できず、体調を崩し、管理会社に言って、黒カビ除去とコーキングのし直しをして頂きました。また、ユニットバス自体に染み込んだ穢れは、ドクダミなどの薬草を漬け込んで浄化しました。
入浴できないほど酷かったため、当然洗い場に入り込んで洗濯をするなんて無理でした。そこで浴室が使えるようになる前に、洗濯機を買いました。結果として、思っていた以上に時間と労力の節約になり、大満足です。洗濯機を使うようになって、今まで結構足腰にも負担がかかっていたことも分かりました。年齢的にも、そんなところに体力を使っている場合ではないなと反省もしました。
ただ何でもかんでも時短のために暮らしを省略していくことには疑問を感じます。折り合いをつけることが大切なのかなと思います。
何を丁寧に行うのか。手間がかかってでもすべきことは何か。
それは人によって違うと思います。
例えば私は、良質なモノを永く大切に使いたいから、手入れをしたりほころびを繕ったりする時間はなるべく削らないですし、むしろその時間が好きです。また、掃除の行き届いた部屋は心地よく心が整い、次に何かをするための活力になります。さらにモノがきちんと片付けられ整頓されていると、探す時間と労力の節約になります。だからそこに時間を使うのは、結果的に人生のパフォーマンスを上げるために必要だと私は考えています。
あと、これから書くことは、私のような、ちょっと変わった人にしか響かない情報だと思いますので、必要のない人は読み飛ばしてください。
心地よい暮らしを続けていくと、私の場合、内なる様々な感覚が研ぎ澄まされてきた体感があります。例えば、他人や社会全体の集合意識が自分の中に入ってくる感覚です。以前から共感覚というか、センシティブな共鳴のようなものがありましたが、なんとなく、そういう感覚も磨かれてきたような気がします。
それを受け流したり適切に処理するためには、一定の時間が必要になります。初めのうちは結構辛かったです。自分以外のものが穢れているような、穢れたモノに接触したくないような、変な防衛意識が出てきたこともあります。
しかし今は生きていく上では避けられないことだと受け止めています。第一穢れは悪いものではありません。それも世界の一部なのだから、恐れず、嫌わず、共存していこうと思うようになりました。そう思えたことで、私自身も大変楽になりました。
そうして、これは税金のようなモノなのだと割り切ることにしました。税金を支払うのは、この社会の中で生きていく上で仕方がないことだというのが私の認識です。さっさと税金を支払ってしまって、後は自分の好きに過ごせばいいと思っています。
このように、どうしても付いてくるもの、どうしても削れない物事、税金の支払いのような物事に、まず時間を使います。そして残った時間が自由時間です。
私の場合、6時間睡眠で、自由時間は平均して一日に2時間程度です。パートは短時間なのですが、少し遠いため通勤に時間がかかります。もしパートをやめれば5時間という時間が生まれるんだよな、と時々ふと思います。その5時間を、自分の好きなこと、これからの人生のためにしたいこと、次の仕事への準備などに充てられたら、すごくいいなとも思います。
でも、パート仕事の内容は天職と言えるほどに大好きです。職場の人間関係も素晴らしく良くて、賃金も待遇も良くて、やめてしまうのは勿体無い気がします。そこで、通勤時間をいかに効率よく過ごすか、通勤のための準備時間をいかに節約するか、などに今は注意が向いているところです。
いずれにしても、私の場合は心地よい暮らしがベースなので、そのための時間は削りません。しかし毎日暮らしを見直して、どこまで削っても大丈夫か、どこまで省略すると心地よさがキープ出来なくなるかの実験を繰り返しています。さらに心地よさの感覚も日々変わるため、総合的に、どの程度がいいかの折り合いをつけることを日々実践しています。
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