カラスと仲良くなる
- miinakanon
- 4月2日
- 読了時間: 4分
更新日:4月18日
動物が好きか、植物が好きかと問われたら、私は迷わず植物と答えます。
動物は好きだけれど、ペットを飼いたい気持ちもないし、積極的に動物園へ行こうとも思いません。でも植物とは触れ合いたく、森や野原には出来るだけ行きたいですし、部屋に観葉植物やお花を絶やしません。
でも、最近カラスと仲良くなりたいなと思うようになりました。スズメでもいいのですが、カラスの方が頭がいいし、体も大きいから、友達になれそうな気がします。
数ヶ月前から朝散歩を始めたことは、どこかの記事に書いたような気がします。
散歩途中で、カラスと私のエピソードが色々あります。
今日はその一つをご紹介します。
市街地内の道路の街路樹に、毎年カラスが巣を作ります。この辺に引っ越してきた昨年、こんなところにカラスの巣があるなあと思っていました。その巣は壊されることなく冬を越し、また今年もそこに卵を産みそうな感じです。というのは、巣のそばで、カラスが枝を加えていたり、止まっていたりするからです。
この冬のある日、その巣のそばの歩道で、一羽の子ガラスが何かをついばんでいました。近寄ってみると、おそらく誰かの嘔吐物のようで、割と広範囲に何か広がっていました。それを子ガラスは食べていたのです。
私がそっと近寄っても逃げる気配がなく、むしろこちらに興味を持ったようで近寄ってきて、1メートル位そばまで来てくれました。私は人に話しかけるように、何食べてるの?とか、怖くないんだね、とか言っていました。すぐに少し大きめのカラスが二羽、近くの電線に飛んできて、カーカーと威嚇するように鳴き始めました。ご両親なのでしょう。親に心配をかけちゃったかなと思って立ち去ろうとすると、追いかけてきます。私は何だか腹が立ってきて、話しかけていただけでしょ!なんで怒るの?わかったよ、行くから!などとご両親に伝えるのですが、ご両親はお構いなしです。私の両脇を挟み込むようにして、私が向こうを向いている隙に、後ろからサーっと飛んできて、私の頭に軽く蹴りを入れてきました。
さすがに私は怖くなり、次の交差点で左の道に入り、そそくさと逃げました。もうご両親は追ってきませんでした。
十年以上前、私は円山公園のベンチに座ってお弁当を広げた時、数羽のカラスに襲われそうになったことがあります。逃げても、その先に別のカラスが待ち伏せしていて小枝を落としてきたりして、とても怖かった記憶として残っています。そんなことがあったので、今回のちょっとした威嚇は、過去の私の恐怖体験と結びつき、おそらくご両親の意図以上に怖く感じてしまったのだと思います。
帰り道も、襲われた街路樹を歩くことができず、別の道を歩きました。翌日は、時間帯が違ったためか、カラスはいませんでした。
その数日後、私が朝散歩で行く公園で、いつも若いカラスを見かけるようになりました。何となく、私を待っていたのかな、と思いました。私は目が悪いし、人の顔を識別するのも苦手なので、カラスの個体差を見分けることは出来ません。が、おそらく、あの時の子ガラスではないかなと思います。近寄ってくる感じとか、好奇心旺盛な動きとかが、あの時の子によく似ています。私が歌っているとすぐそばまでやってきたりします。そして少し離れたところには必ず親ガラスと思われるカラスが一羽、こちらをしっかり見ています。
カラスに話しかけると、次第に仲良くなれると聞いたことがあります。
私は人間の友人が少ないこともあり、カラスがお友達になってくれたら嬉しいなと密かに思っています。話を聞いてもらったり、一緒にこの地球の美しさを感じたりして、心を通わせられたら素敵です。
そんな風に思っていたら、昨日ふと立ち寄った図書館で、カラスの本が目に止まりました。

すぐに借りました。
昨年は愛読家の友人にすすめられ、人生初?かもしれない読書ブームが私に訪れました。人の気持ちを察することが不得手な私にとって、様々な人生模様を垣間見ることは素晴らしい人間理解の勉強になりました。小説の世界に入り込むことで、別世界に生きることができます。現実世界とは違う時間の流れに身を置く感じで、言葉ではとても言い表せないような、それは美しい体験でした。
しばらく本を読むことからは離れていたのに、ほんの15分だけ時間があり、なぜか図書館に行こうという気になり、最初に目に留まったカラスの本。こういう、偶然には出来すぎている事象が、私にはかなり頻繁に起こります。
心地よい暮らしを続けていくと、余計なストレスから解放され、自分に集中し、自分らしく生きる方向になっていきます。そのため、こういった感覚も研ぎ澄まされていくのだと思います。
欲しいものや欲しい情報が向こうからやってきます。それは決して自分の力ではなく、何か私達が知り得ない宇宙の仕組みで、そういう流れになっていくのではないかなと思います。私達はただ感謝して、喜んで、受け取ればいいのだと思います。
求めよ
さらば与えられん
私の好きな言葉です。
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